読書感想:『大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実』仲村和代 藤田さつき

大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実』仲村和代 藤田さつき

11月にミナペルホネンの展覧会に行ったのがきっかけで、衣服がどのように作られているのか気になり始めた。

アパレル産業についての本を図書館で探して借りたのがこの本。

薄々わかってはいたような気がする、けど、はっきり知ると衝撃的な、世の中でいま起きているいろんなことを教えてくれた。

 

タイトルの通り、アパレルとコンビニの廃棄問題について、アパレルについては衣服の、コンビニについては食品の大量廃棄のことを書いている。

筆者は二人とも朝日新聞の記者さん。時には名を伏せた様々な現場に足を運び、 取材し現状を伝えてくれている。

業界の中から変わろうとする人々の取り組みにも触れられており、衝撃的なだけでなく未来への希望も感じさせ、全体として大変興味深く読んだ。

 

一消費者として、衣服と食品は最も身近な商品と言える。両方とも生活にとってとても大事なものだ。

それらが、着られるものなのに、食べられるものなのにゴミとして捨てられていくというのは、もったいなくてもったいなくて心が痛む。

 

衣服はリサイクルされる。そう思って、着なくなった服を手放すことに罪悪感を感じなくなっていたけれど、リサイクル、リユースにも限度があることを知った。

リサイクルしにくい生地(化学繊維)もある、新興国でも再利用の需要がない服(冬もの)もある、そもそも新興国への押しつけと産業発展の阻害になっている可能性もある。。

衣服の生産量と、リサイクル/リユースの需要の量は一致していない。出口から出きらない衣服がただ捨てられている状態だというのだ。

よく考えてみたらわかったことかもしれない。でも考えないようにしていたのだろうか。。

 

そもそも、低価格にするために大量に生産しすぎて売り切れず、一度も着られず、リサイクルもされず、捨てられていく(しかも環境にマイナスな形で…)衣服も大量にあるという。

衣服というのは、大量生産でいくら低価格のものでも、最終的には人の手でミシンがかけられているものらしい。それは、知っている人にとっては当たり前のことかもしれない。でも、大量の安い服が粗雑に置かれたファストファッションなどの店頭を見ていて、私はそう思っていなかった。機械ですべて作られているのだと思っていた。

安い安いその衣服たちは、バングラデシュなどで人件費を抑えて作られている。低価格にするために、余ること前提で大量に発注がかけられていると言う。

余る、捨てられると決まっている服が、安い賃金で雇われた人の手で作られているなんて。。むなしさの極致のような光景だ。

 

「服が安くなっている陰で誰かが泣いている。」発注元から無理難題を言われてもやるしかなくて、外国人実習生に過酷な労働を強いざるを得なかった零細縫製工場の社長の言葉だ。新興国の工場だけでなく、数少なくなった日本の工場の状況も非常に厳しいところが多いようだ。

 

食品も然りで、売場の棚がいつも食品でいっぱいになっているようにされていれば、買われない商品も当然出る。販売機会の喪失を防ぐためという理由で、棚の薄い状態を作らないような量を仕入れ、そのためなら廃棄もいとわない。つい最近までそれが店の常態だった。未だその方針でやっている店も多いだろう。

 

棚がさみしくてもよし。賞味期限が迫っていてもすぐ食べるんだからよし。消費者が買う時にそういう姿勢を示していけば、少しは変わっていくだろうか。

 

この流れを変えようと、無駄を減らす仕組み作りに取り組んでいる勇者たちもいる。

この本にはそんな方々の会社やお店の情報も具体的に載っている。

10YCや、捨てないパン屋ドリアンなど、エシカルという意味だけでなく、商品が魅力的で買ってみたいお店が結構あった。

 

既存のシステムに心地よく乗って、スマホを開けば目に飛び込んでくる流行の服の広告に今日も見入り、好みの服が安く売っていればうれしい、そんな消費者である私だけれど

「知る」入口にだけ立てたのかなと思う。

次にどういう「選択」を私がするのか。自分を見ていきたいと思う。