3パッコの話。

その日もパワハラめいたお説教が始まって、嫌気がさしながらも、視線はPC画面に向けたまま、聞くともなしに聞いていた。

例え話が始まった。

「おめぇさんがお母ちゃんからお使い頼まれたとするだろ?卵買ってこいって。1パック買ってこいって言われて行ったのに、安かったからって言って勝手に3パッコ買って帰ったらお母ちゃんに叱られるだろーっての。わかる〜?…」

確か北関東出身だったような、その60代くらいの男性は顧問として週に数日出勤しているらしかった。ものの売り方や顧客への対応について相談を受けたりしながら、一人だけいる若い男性社員の教育もお願いされていたようだ。

 

総勢10名足らずの小さな会社に、私は唯一の派遣社員として勤務していた。勤務が始まって間もなく、若い男性社員が他の社員に叱られているシーンをよく目にすることとなった。

忘れてしまったり、間違えてしまったり、勝手に不要なアレンジをしてしまったりを繰り返して、彼は彼以外の全ての社員から呆れられているようだった。私の勤務は週2、3回だったが、彼が社にいる時は大抵きつく当たられていた。

 

誰しも苦手なことと得意なことがあると思うが、彼の場合、苦手な部分が担当する仕事内容と見事に合致してしまったのだろうと思う。彼は叱られても本当には理解できていないように見えた。しかし彼は仕事全般ができないわけではなかった。彼と私が一緒に働いていた期間は2ヶ月足らずだったような気がするので、本当に浅くしか知らないけれど、電話対応などは私よりずっと上手だった。担当する仕事の内容を変えた方が彼の能力を生かせたと思う。しかしその会社には、人事体制を彼のために熟慮するキャパシティはなさそうだった。

 

忙しい時にはさらにイライラと高圧的に怒鳴られ、目に見えてどんどん口数が少なくなっていく彼が心配だった。エレベーター前などで会ったときに、当たり障りのない雑談しかできなかったことを悔やんでいる。もっと向いている仕事があるかもしれない、とか言えればよかったと思う。

 

ある日私が出勤したら彼は辞めていた。彼宛の郵便物が届き、その日彼が不在だったので、郵便物をどうしたらよいか他の社員に聞いたら、「私が受け取ります。彼、辞めましたんで」と。急だった。私が出勤日でなかった前週のある日に辞めたらしい。

「大変だったんですよ」「彼のことは忘れてください」と2、3人の社員に口々に言われた。詳しく聞かなかったけれど、口ぶりから、小さなオフィスがパニック状態になったのではと想像した。怒号、絶叫、号泣など…。想像でしかないが。

 

「卵1パック買ってこいって言われたのに、勝手に3パッコも買って帰ったらお母ちゃん怒るだろ?おめぇさんがしたのはそういうこと。聞いてっかぁ?」

訛りのある鼻にかかった大声で繰り返す。俺が言ってやる、任せといてと、本人のいないところで女性社員たちにうれしそうに言って、女性社員たちは笑っていた。いつかどこかで、いろんなところで見たことがある構図。私もそんな中にいたことがあっただろう。

 

1パック、3パッコ。その男性の田舎では、卵のパックの単位は、1つなら「パック」、複数なら「パッコ」なんだろうか…。

気が滅入るような雰囲気の中、そう考えてしまったら笑いたくなった。笑ってしまえばよかった。こらえずに、ゲラゲラ笑ってしまえばよかったな。