白髪を染めるのをやめた話(前編)

30代中盤くらいから徐々に出てきた白髪。

ヘアマニキュアとか、ヘアカラーとか(分類はよくわかっていないんだけど)で白髪染めを始めたのはいつだったか…忘れた。傷みやすい髪質のため、30代になってから色を明るくするのもパーマもやめていて、白髪染めをするにしても自然な黒にしてもらっていた。不器用で面倒くさがりなので、いつも美容院で。

 

周りに、シニア世代の女性で白髪を生かしたきれいな女性がいて、いつかあんな風にしたいなと思っていたのと、

「グレイヘア」という言葉を知った時期に、テレビで白髪染めをやめたという女性が言っていた「災害の時、避難所生活か⁉︎というような切迫した状態でも、白髪染めどうしよう、と自分が漠然と思っていたことにハッとした」という言葉に私もハッとしたのだった。

このままだと私も思ってしまいそうなこと。でもそんな状況の時、そう思いたくない。違うことに気持ちを割きたい。

 

そしてまた、(特に女性の)白髪頭に対する世間の意見というものを見た時、これはなかなか根深く手強い問題なのかもしれないと思った。

例えば、グレイヘアを実践している女性のニュースが上がった時のネットユーザーのコメント。「やっぱり老ける」「社会人として身だしなみの乱れととられるから自分には無理」「化粧しないのと同じ」「男性はまだいいけど女性はダメじゃない?」などなど。。(もちろん好意的な意見もあり)

私もこのような否定的な意見と同じような思いをもっていたから、これまで白髪を隠してきたのだと思う。

だけど、なぜ白髪が身だしなみの乱れととられるのだろう。なぜ老けて見えるのか、そして老けて見られるのはなぜ損なのだろう。そして特に女性の白髪頭に世間が否定的なのはなぜなのだろうか。

その反面、大体どこででも聞く意見は、きれいに全部真っ白な白髪頭のおばあちゃんはすてき、かわいい。いつかそうなりたい。である。

 

白髪への抵抗感は、「老い」というものに対する恐怖心からなのかな、と思う。人は、他人の「老い」であれ、じわじわと迫る「老い」というものを見せつけられたくないのではないか。

黒髪=若さ=生命力 のなかにひょこりと顔を出す 白髪=老い。圧倒的に多い黒髪の中の白髪、あるいは顔(もしくは服装や雰囲気)は若いのに白髪混じりの頭、というアンバランスさにも不安を感じるのかもしれない。

顔も雰囲気も体つきも、すべてがまごうことなき「おばあちゃん」の白髪頭であれば、人は安心して受け入れるのかもしれない。

 

 

なぜ特に「女性の」白髪頭が迫害されるのか。最近の#MeTooからの#KuTooなどの一連の流れで明らかになってきた、ハイヒール(パンプス?)でなければダメ、化粧していなければダメ、ストッキングはかなくちゃダメ、メガネはかけちゃダメ、マスクしちゃダメ、などの就業規則が女性に対してある職業が存在するのだということ。

就業規則でなくても、お化粧やストッキングは社会人女性として当たり前だ、と言われたことのある人も多いのではないだろうか。いわゆる社会通念というもの。その辺は私も無意識に刷り込まれていたことだった。

これでクローズアップされたのは、人々にとって(男性だけにとってとは言えないかもしれない)「女性はこうあるべき」「こうあってほしい」という姿があるんだな、不文律に近い形で確実に存在していたんだということ。

これは逆に、男性はこうあるべき、こうあってほしい、という男性への観念も当然存在するという気付きももたらしてくれるわけだが、今は置いておく。(しかし私がしたいのは別に女性をかわいそうがるとか、男性への批判ではありません。)

 

こうした女性への願望が、白髪混じりの頭を放っとくなんてあり得ないという視線になるのではないだろうか。女性はきれいにしようとして当たり前。老いに抗って当たり前。

 

色々考えて、簡単に言うと、私は腹が立ったのだった。

年をとり老けていくのは当たり前なのに、それを美しくない、きれいじゃない、となぜ排除しなくてはいけないのか。

毎月染めて、根元が白くなったら見っともないと、必死に根元も染めて。

また、老いる、ということがイコール身だしなみを損なう、ということになるのは本当におかしくないか?

 

むかついたし、きっとみんなが受け入れがたいのは見慣れていないせいもあるだろう!と思って、

見慣れてくれや!と、白髪混じり頭の人を一人増やす、という気持ちで、私は白髪を染めるのをやめました。(後編へつづく)