白髪を染めるのをやめた話(後編)

美容師さんにも考えをざっくり話して、それまでお願いしていたヘアマニキュア等をやめ、毎回カットのみしてもらうようになった。

やめた時期をはっきり覚えていないのだけど、2年前くらいのような気がする。今度美容院に行ったら確認してみよう。

その間に私の白髪は着々と増えて、以前は髪をかきあげないとわからない、中の方だけだったのが、表面にも増えてきた。どこを分け目にしても何本かは見える、そんな状態である。

割合的には黒髪の方が多いので、白髪は目立つ。もともとの髪質は、くせっ毛ではあるのだけど、大きなうねりという感じで、今のショートカットだとふくらんだりはするもののウェービーヘアではない。しかしなぜだか、白髪のうち数本はすごく波打っているのである。懐かしのソバージュ並み(まるで下のおけけのようにも見える(!))。そしてビヨン、と浮く。

短い白髪が波打った上に頭頂部でおったったりして、見事に主張してくれる。磯野波平氏のあの一本毛のように屹立しているのだ。(波平氏のは黒髪だが。)

黒髪でもアホ毛(バカ毛?)は恥ずかしいものだが、黒髪の中の白髪のアホ毛はそれはそれは目立つ。先日まったくおとなしくなってくれないやつが1本あって、迷った末こやつは抜いてやった。

 

選択的白髪頭なので、白髪頭と美しさ(自分が思う、だけど)を両立したいと思っているのだが、上のような状態なのでなかなか難しくて、これが他人にどう見えているのか微妙である。

 

白髪染めをやめて、実感したのは、誰も白髪について指摘しないということ。見事に視線は頭の方を見るのだけど、ふれない。きっと人が、他人の白髪で無邪気に指摘できるのは若白髪の、本当に少ない本数の人に対してだけだろう。私のように40くらいの、白髪が出てきて当然の年齢の人には親兄弟くらいか、本当に気のおけない関係性の人しか自分からは話題にできないだろう。

あ、白髪見えてるな、おったってるな、増えたな、白髪染めしないのかな、気付いてないのかな、お金ないのかな、見っともないな。どこまで思っているかわからないけど、思うことはこんな感じだろうか。ネガティブすぎるかな笑

今の私なら、もしかして同志かしらと、話すことはできるけれど。白髪染めをしていた頃の私だったら、中途半端な割合の白髪頭の人にはなかなか話題にできなかっただろうと思う。

 

そして、今まで私が白髪染めやめたんだ、と話した人たちの反応はどうだったかと言うと、私の話し方もよくなかったのかもしれないけれど、大半は反対。まだいいでしょう、とか、もったいない、とか。残りは何と言っていいのかわからなそうな困った顔。

賛成してくれたのは美容師さんと小学校低学年の娘くらい。美容師さんは仕事なので客である私の意見に沿ってくれているだけなのかもしれないなと思っていたけど、美容師さん自身(40代後半女性)も最近白髪を生かしたヘアスタイルになってきたので、間違いなく同志だろう。何となく、お、美容師さんも?と言うのは照れくさいような、おこがましいようなで話題にしていないのだけど。

娘に受け入れてもらえるのは心強い。一番近い存在である母親のことを無条件に受け入れてくれているだけかもしれないが。自然に見てくれる、それだけでうれしい。

大げさに言えば、若い世代への希望も感じる。

 

私も面と向かってはうまく話せないし、納得させるつもりもないので、反対されたり困られたりしたらすぐ話を引っ込めるのだけど、こんな割合で反対されるくらいだから、白髪染めやめる派はまだまだ少数派なんだろうなと思う。

 

でも、自分が白髪頭になって街を見てみると、選択的白髪頭っぽい人たちをちらほら見つけることができるようになってきた。

選択的白髪頭って、ついさっき使い始めた言葉だけど笑、自分の意志で選んでそうしている人のことを言いたいんだけど、諦めとか放置じゃなくてそうしてそうな。おしゃれすることが好きだったり身だしなみをきちんとする意欲があって、白髪頭も受け入れている人のことかな。(そうでない人と差別する気はないのですが、差別につながる感情かな、これ?)

まだ私より年齢が上の層の人が多い感じがするけど、増えて、みんなが見慣れて、白髪頭=老けるフィルターが外れて、白髪があっても、その人がかわいくきれいに見える日が来るといいなと思う。

 

まだまだ私自身も慣れなくて、周りの目が気になりもするけど、白髪やしみやシワと一緒に、この年齢の私として過ごしていってみようと思っている。