友だちとがんばって会わないことにした。

すごくおなかがすいてしまった…

最近は寒いからか、食欲がものすごいのだけど、先日断水の時に行った喫茶店のカフェラテとチョコケーキが冬の食欲にどんぴしゃで美味しくて、脳があのお店を求めてるんだよね〜〜

あそこ行きたいよ〜、重めのスイーツ食べさせてよ〜ってささやいてくるんだよね〜

私も行きたいのは山々だが、あんまりお金使えないし、寒くて外出たくないよ、って断った所です(脳に)。。ううう…(行きてえ)

 

今日は家で映画を観ようと決めているので、日々やることを午前中に済ませて、昼食も済ませてソファーに沈むぜ、という意気込みでおります。

 

水槽で栽培している水草の全身にカビが生えてるのを発見してしまって、脳の片隅でずっとその情報がまたたいていますが、今日のタスクをすべて終えるまでは無視したいと思います。

 

今日は友人について書いてみます。

 

最近、自分にとって友だちとはなんぞや、ということをよく考えるのですが

それは少し前に20年来の友人ともう会いたくないなと思ってしまい、距離をとることに決めたということがきっかけで、

でも、それがなくても、「友とはなんぞや」は、小学校の時の友人難からあと、ずっと私につきまとってきた問題かもしれない。

 

友だちって何だろう。厚い友情物語を経験していないからかもしれないが、相手と過ごす時間が心地よいものでなくなった時に終わりを迎える、とてももろいものと私は最近感じている。

 

学生時代、社会人、ママ友と、それぞれの時期のいろんな場所で新しく人と出会い、「友だちづきあい」をしてきたわけだけれど

「場」がなくなれば会わなくなる友だちがほとんどである。(その中でもごくごく少数の友人と細々とつきあいを続けてきた。)

 

友だちと何をするか?と言えば、筆頭に「おしゃべり」があると思う。「食事」や「お酒を飲む」は、つまりはおしゃべりをするための会合だもんね。

共通の話題があれば、盛り上がるので楽しいわけで、共通の場・共通の立場であることがそれを容易にし、共通事項がなくなればそれが難しくなる。

 

限られた時間の中、楽しくない相手とは会ってる場合じゃなくなるわけで、友人関係は淘汰されていく。

それでも維持するには、お互いの努力が必要だ。

 

その努力って必要なのか?と、傲慢かもしれないが、最近の私は感じている。

 

いつか一人になって、さみしくて泣くかもしれないが、さみしくならないために友人関係の維持に努力するというのも、自分可愛さが過ぎる気がする。そして自分可愛さでやっているようでいて、今の自分にやさしくないんじゃないかと。。

 

お互いの気持ちが釣り合う場合にしか続かないものなんだろう。

 

書いていたら整理されてきた。

 

努力してきたわけではなく会いたいから会ってきたあの人に、私はもう会いたくなくなってしまったんだ。

少し前から、会っても楽しいと思えなくなり、帰り道とその後数日、もやもやと悲しみのような気持ちで心がぐったりしてしまう。

会うなら「がんばって」行かなきゃいけない。でも、大切な時間もお金も使って、疲れに行かなくていいよね。

そう思ったのです。

年のせいか、心の疲れは体の疲れに直結する気がする。もう無理できません、よんじっさい。

 

抽象的すぎてわけわかりませんね、すいません。

いつかまた書くかもしれませんが今日はこのへんで。。。みなさまも寒さにはお気をつけて。