読書感想:『ストーカー病 −歪んだ妄想の暴走は止まらない− 「恨みの中毒症状」の治療なしに、被害者は減らせない』福井裕輝
以前感想を書いた『ストーカーとの700日戦争』という本の中に出てきた本。治療の対象となる「病」としてのストーカーについて知りたくなり、読んだ。
著者は精神科医で、性犯罪者やストーカー行為を繰り返す人の診療をしたり、犯罪者の精神鑑定も行なっている方らしい。
臨床の経験や研究の結果をもとに、ストーカー被害を減らすことを願って書かれたという本である。
相手からの拒否や、警察などからの警告があってから行動をやめられるか否かを「ストーカー的」と「ストーカー病」の境界線とし、後者の病としてのストーカーについて、
その分類、原因の推察、脳との関係、治療法。
また、ストーカーによる被害を減らすために、被害者になりやすい人の傾向や、被害に遭わないための行動のしかたも。
司法と医療との連携についても話が及ぶ。
全体的に興味深かった。が、個人的に注目したのは、局所的で申し訳ないが
ストーカー病の因子として推察されるものを紹介する中で、その1つとして自己愛性パーソナリティー障害が挙げられており(注;著者も繰り返し強調しているが、この障害や傾向を持つからといってただちにストーカーとなるわけではない)、それに関わる記述である。
後天的な育成環境も大いに関わるというので、育児している身としても気になるところであり、
また、私が今までの人生で関わったおかしな人たち、もしかしてこの傾向があったのかなと思い当たるからである。
自己愛性パーソナリティー障害に見られる、病的な自己愛というのは、実は、異常なまでに強い自己否定感や自己嫌悪感の抑圧のために発動するのだという。
幼少期から順番にまとめてみると、
幼少期にセキュアベース(心の安全基地。愛着対象である親から与えられる安定した心的環境により育まれる)が十分に育まれない
→いつも不安で、自分に自信を持つことができない
→その不安を緩和するために、自分は特別な存在であると思い続ける
→他者を貶めることで、実際に自分を特別な存在にしようとする
単純化しすぎたかもしれないが、そういう流れのようである。
自分の存在価値に自信が持てない状態にある彼らは、自分自身の価値基準を他者の評価に求める。
絶対的な自信ではなく、相対的な自信。しかもそれは他者を下げることで得られるという…(なんて虚しいんだろう)
自己愛を傷つけられると、その反応として、相手への苛立ちや暴力的攻撃といった様々な形で表出されるとのこと。
異常に地位にこだわり、それが叶わないと攻撃的態度に出たあの人も、そうだったのかなと思う。
平常時の人物像とのギャップを思い出すといつでも薄ら寒い気持ちになる、私の体験である。
大なり小なり、結構周りにいるのかもしれないですね。
みなさんはそんな経験ないでしょうか。
その人も、かわいそうな子ども時代だったのかもしれないが、実害を被れば、かわいそうがっている場合じゃないんですよね。。
本当に一部についてのみの記述になってしまいましたが、
精神科医の生の声としても非常に興味深い資料と言えるし
一般向けに難しいことははしょって書かれていると思われ、平易で読みやすいです。
著者の個人的な思いと、そこに至る生い立ちや経緯も書かれ、ここは要るのかなとも思いつつ…印象に残る部分ではありました。
将来的に就くお仕事として精神科医を考えている若い人がそういった関心でもって読むのにもいいかもしれないです。